オッサン独りたそがれコロナ療養日記 【ついに入院】

●8月16日(月)

朝イチ、まだ8時30分くらい。
看護師さんから部屋に内線が入ります

『上城さん、病院に入れます! 10時に迎えの車が来ますので、それに乗ってください』

と、とんとん拍子に入院が決定。

慌てて荷物をまとめ、ゴミもまとめ。
10時にロビーへ。

行くと、車寄せに1台の救急車。
別に普通に動けるのでストレッチャーを使わず、普通に乗車。

(懐かしいなあ……エルグランドベースの奴か)

実はその昔、民間救急隊員で救急車のドライバーをやっていた上城。
久々の救急車にちょっとテンションを高まったりしておりました。

余談ですが。
エルグランドベースだと、運転席からウォークスルーなのですね。
僕が乗っていたのはハイエースにセルシオのエンジンをぶち込んだ、猛烈に強引なつくりの救急車で前後の行き来が出来ずに難儀したので、ちとうらやましかったなあというお話。

乗り込むと、ドライバーと看護師さんがひとりずつ。
ホテル出発前、病院になにやら連絡をしている模様。

ドライバー「カミジョウ・トモユキ。年齢……?(振り返る)30歳くらい」
上城「いえいえ!? 50歳っ!!
ドライバー・看護師「え え え ぇ っ !?(めっちゃ振り返る)」

……すみませんね、貫禄なくて。

そんなわけで、車で10分くらいの入院先に。
最初の送迎車と違い、2人とも厳重ではないけど防護服着用。

ちなみにこの時は発症後10日経って、感染させる力はほぼなかったとのこと。
最初の送迎車ドライバーの防護をもう少しキッチリした方が良い気がするのですよねぇ、とか思ったりも……

病院に到着したら、なんと車いすが用意されており
(え……車いす、乗るの?)
と戸惑いながら座ります。

これが発症から日が経っていないと、車いす全体をビニールシートで覆って、しゅごーっと陰圧の空調響かせながら行かねばならんので車いすもやむなしなのですが(僕の前に病院に入った患者さんは、そんな感じでした)。
僕はそんなことないので、ただ荷物の如く運ばれる感じ。
まだ、この時点では脚がそこまで萎えてなかったからよかったのにとおもいつつ。
介護研修以来の車いすを満喫。

そして、そのままCTとレントゲンを撮影
さらに病室に移動し、血液ガス検査のために動脈から血を抜くことに。

ちなみに血液ガス検査とは、動脈を流れる酸素や二酸化炭素などの状態を測定して肺や心臓の機能を見る検査。
普段採血する静脈との一番の違いは――猛烈に痛いという点。

場所は鼠径部と橈骨動脈(手首で脈とる時に指あてるトコ)だけど……手首より鼠径部の方が痛くない。
痛くないけど……男性の看護師が鼠径部をグイグイ押して動脈を探した結果

『……良くわっかんないな』

という独白とともに、橈骨動脈に針を入れることに。
まあ……良くわっかんないのならば、致し方ありませぬ。
結構痛かったですが、そんなこと言ってる場合でもないので、ひたすら辛抱。

その後、右腕に点滴のルートを確保……静脈に点滴のチューブを刺しっぱなしにしたりして。
ドタバタしているうちに、色々な書類を渡されます。

『この薬使うけど、注意点は以下の如し。いいよね?』
的な内容の書面には【レムデシビル】【アビガン】など、報道とかで聞き覚えのある薬の名前が並びます。
そして、担当医師からの確認。
その表情は険しく、一切の冗談や遊びはない感じ。

『あなたは現在、中等症。肺炎アリ、酸素障害なし』
『この病院は中等症までの設備しかなく、重症化した患者は診れません』
『その場合、設備がある病院へ転院しますが……今、正直まったく空きがない状態です』
『「ただちに転院!」という事態になっても、行き先がなくて見つかるまでここにいなければいけないことがある。そのことはご理解下さい』
『あと、万が一の場合……延命治療は望まれますか?』

これらの説明を聞きながら、ここでようやく僕は

(そうだよ――死ぬ病気だよ、コロナって)
(なんで、根拠なく治ると信じていたんだろう……?)

と、厳しい現状を認識したわけです。

一瞬絶句した僕に、先生は厳しい表情を崩さぬまま告げました。

『大丈夫。生きて帰れます』

この一言。
僕の抵抗力と薬品の効能に全てがかかる、あまりに不安定なこの状況で。
それでも、とても力強く僕の耳には届きました。

『ただ、時間はかかります。ざっくり2週間』

事前に調べて、早ければ5日で退院できると書いてあった中等症の治療。
そんな甘いものではなかったと、あらためて認識。

『色々と状況を見て、アビガンよりもベクルリー(レムデシビル)が適していると判断したので、それで治療を開始します』
『また、ステロイド(デキサメタゾン)も並行して投与します』
『肺炎の状態を改善します。頑張りましょう』

とのことで、早速通したばかりのルートにレムデシビルの点滴を。
初日2時間。それ以降は1時間。計5回の投与。

レムデシビルとデキサメタゾンの組み合わせは、トランプ元大統領が完治したのと同じ組み合わせ。
(U.S.A! U.S.A!!)
点滴を受けながら脳内でコールして期待しつつ、あとは先生に委ねます。

でも、こんな状況ですが
色々検査をして身体の状態を確かめ。
医師の先生、看護師さんたちから懇切丁寧に説明を受け
(うん……治療受けてるぞ、俺)
と言う実感がようやく沸いていました。

考えてみると。
今までは“療養”で、あくまで隔離しながら自分の免疫で治すターンだったので。
陽性の結果がでてから、医師の診断をいただいてなかったこともあり。
陽性判定後、初めて自分の身体の状態を把握出来たんだなあとも。

もちろんホテルに入った時点で、医師からお話とか聞けると嬉しかったのかもしれませんが、とてもそんなゆとり無いのでしょうねえ……
たっくさん、人がいましたから。

ここから心電図とパルスオキシメーターが付きっぱなし生活に。
そしてSpO2が低いので、鼻から1L/分の酸素も常に摂ることに。
長い戦いのはじまりです……

●8月17日(火)

この日もレムデシビルの点滴&デカドロンことデキサメタゾンの錠剤を経口摂取すると言う治療。


デキサメタゾン――ステロイドなので、いわゆるステロイド糖尿病的な状況になり。
それを防ぐため、インシュリンの注射も加わります。
また。
血栓ができやすくなるとかで、それを予防する血液サラサラになる薬も注射。
なんとなく、至れり尽くせり感を味わいます。

体調はボチボチ。
咳は相変わらず出ますが、ちょっとおさまってきたかなとも。

そして。
ここの病院は本当に食事が美味しく。
ここから先、ずっと完食できるのです。

やっぱり、病気に対抗するためには体力をつけなくてはいけず。
そして、その源は食事だと思うのですよね。

この日の夕食は、なんとすき焼き。
本当に大事です。

●8月18日(水)

朝食に出たサツマイモの甘煮が猛烈に好みの味。
そんな1日のスタート。
明け方に咳も出ず、平和な朝でした。
1時間の点滴、12粒のステロイド。
そして、レントゲン撮影と採血。

レントゲン室にいくのかなと思いきや、まさかのレントゲンの機械を病室にもち込んで撮影
あらためて、隔離中だということを実感します。

ちなみに。
我らがいる隔離病棟には『レッドゾーン』と言う呼び名があるようで……
何千回転からなんでしょうね(違

そして。
夜、先生が割と上機嫌で登場。

『上城さん、肺炎良くなってますよ。血液の炎症反応の値も悪くない』
『初日に比べて、黒い部分濃くなってるでしょう? この白くてモヤっとしたのが肺炎なんです』
『良くなってます。このまま頑張りましょう』

マスクで口元は見えませんが、明らかに目元が笑っていて。
僕も思わず嬉しくなったのです。

●8月19日(木)

レムデシビルとステロイドは順調に継続。
昨日、先生から
『ちょっと脱水のケがあるので水分多めにとってくださいね』
と指摘を受けたので、今日からはトイレの回数を増やすことをいとわず、水分をがぶ飲みすることに。

ホテルの時は水道水をポットに汲んで、沸かして作った白湯をがぶ飲みしていたのですが。
病室ではそうも行かないので、ペットボトルのお茶で。

ただ、ホテルと違って看護師さんやヘルパーさんが1日1回買い物代行してくれるので。
飲み物はゲットしやすいのです。ありがたいですねえ。

んで、このあたりで気が付きます。
(……着替え、足りないぞ)
今までの荷造りは、あくまでホテル療養が前提。
つまり――洗濯前提の枚数。しかもせいぜい10日間の構え。
病院になれば、洗濯とかできるはずもなく。そもそも2週間くらいと言われてますので、着替えは普通に用意せねば。
何が問題って、僕は嗅覚がなくなっているので自分がどのくらい臭いのかがまるでわからないと言うこと。
ただでさえ、オヤジ臭いはずなのに……

なので、着替えを差し入れて貰えるように手筈を整えます。
幸い、特に事前連絡なしでナースステーションに直接届けてもらえれば良いとのこと。
病院になってホテル療養よりもそういうところは楽になりました。

色々とやることあるなあと思いつつ。
着替えなど、諸々の手配を。

●8月20日(金)

レムデシビル、最終日です。
これで問題なければ、おかわりなく点滴が終了。

SpO2の値も良くなっているので、今まで1L/分入っていた酸素を外すことに。
レムデシビルとデキサメタゾンが効いている感じですね。

この病室、火曜・金曜がシャワーの日だったのですが。
酸素が外れたので、シャワーを浴びることができました。
サッパリ。だいぶ気持ちがリフレッシュ出来て良きです。

ここで荷物の中に入っていたホテルで洗濯したTシャツに着替えます。ラスト1。
明日、新しいのが来るはずなので、そこは遠慮なく。

微熱は相変わらず続いていますが、少しずつ治っているのかなあと期待が持たれます。
そして匂いが……なんとなーく、復活してきたかもしれません。

少しずつ、一歩ずつ……

●8月21日(土)

今日からデキサメタゾン――ステロイドだけです。
インシュリンは継続して打つ感じ。

無事に着替えも届き。


夜にビーフシチューが出て、テンションが上がったりしつつ。
特に何事もなく、この日は終わりました。

ただ、それだけだと何なので療養小ネタを。
僕たちのいるこの部屋は、おそらく普段の4人部屋を3人部屋に改造。
残る一人分のスペースに巨大な換気装置を設置したうえで、電動おまるを装備。
トイレスペースにして、完全にこの部屋だけで行動が完結できる隔離病棟になっています。

電動おまる。使う時には左の箱にある固めるポリマーを都度入れます。

電動おまるのパーツ。かわいい。

……このおまる、神経質な人は絶対に嫌だろうなあとおもいつつ。
その昔、山の中に穴掘って……の、ガチアウトドア野郎だった上城は全く抵抗なく。
なんなら、嗅覚死んでいるので匂いとかも(少なくとも僕は)気にならず。
普通に快適に過ごしているわけです。

写真はパーソナルスペース。
まあ、典型的な大部屋の1区画ですが。
カーテンの向こうが、トイレです。

いやー。
人間、雑にできてる方が何かと得ですね。

なお。
気になる人は、パーソナルスペースに専用のおまるを設置することができるみたいです。
やってる人がいらっしゃいました。共用よりも気兼ねなくて良いですもんね。

参考になれば。

●8月22日(日)

日曜日。
こころなしか、静かです。

点滴もなく酸素もなく。
おだやかに過ごしていたら、17時過ぎになんと保健所さんから電話が。

聞けば、極めて事務的な内容。
『このお電話で了承いただければ、諸々進めさせて貰います』
的なもの。

日曜日。
夕方5時過ぎ。
保健所の事務方からのお電話。

関連部署、全力フル稼働なのですね。
夏休みとかオリンピックとかくそくらえな感じ。
SNSなどでは色々いう人もいらっしゃるようですが。
少なくとも、僕のところの保健所さんは全力で頑張ってくれている印象です。

それは確かに
『入院したい!』『オッケー。じゃあ、ここに行って!』
みたいなスピード感ではないことは確かですが。
少なくとも『放置』と言う感じでもないよなあ、とも。

そんなわけで。
微力ながら応援と感謝を。
ありがとうございます、頑張ってください。

●8月23日(月)

咳は完全におさまりました。
微熱だけ、おさまらず。

ひとをだめにするもの

アイスノンを貰って、冷やしながら静養。
なんだか……昼日中のアイスノンは人間がダメになる気がします。気持ちよすぎて。

あと、この日の夕食。
カレーライスが!

解説不要のカレーライス


まだ、匂いはしないのですけど味はバッチリ。
テンション、上がりますね。良いですね。
健康は食べ物からですよ、やっぱり。

そして、この日は朝採血したのですが、炎症反応も問題なしとのことで。
点滴のルートも外れました。

少しずつ、少しずつ……

●8月24日(火)

先生からの提案で、ここでデキサメタゾンをストップしましょうと。
血液検査やSpO2の数値的には、まったく問題ないし。
デキサメタゾンは接種終了後、隔離期間が必要とのことなのですが。
終えた上で、隔離期間分の日数をここで体調など見ながら過ごし、問題なければ退院と言う流れにできるかな、と。

まあ、なんと言っても。
連日、ニュースでは病床不足を訴えているので。
肺炎治って酸素投与しなくても良いひとは自宅へ帰したいのだろうなあと。

無論、退院は僕もウエルカムなので。
何事もないことを祈りつつ、了承。

この日はシャワーの日で、サッパリしたのですが。
あらためて見ると、脚がとても細くなっていました。

まあ……ずっと寝たきりみたいなものでしたからねえ。
退院後が思いやられます。

●8月25日(水)

食事、ずっと完食が続いております。
この病院の食事が、実に味付けが良いこともあるのですが。
持ち込んだフンドーキンの醤油が実に良い仕事をしてくれており。
ふりかけの消費がほとんどない感じです。

これから入院とかホテル療養とかになるかた。
醤油はお気に入りのものを持って行った方が、絶対に幸せになりますし。
そしてなにより、治りが早いと思いますよ。栄養補給は大事です。

そして、医師の先生から
『明日、このまま何もなければ退院でいきましょう』
とのこと。
そこで、いそいそと荷物をまとめたり。

ニュースでは野々村真さんが退院とのこと。
なんだか、同時期に入院してたので……嬉しいですねえ。

●8月26日(木)

朝イチ、10時。
夜勤の看護師さんが日勤の看護師さんにシフトを引き継いだタイミング。

退院しました。
生還――やっと、日の当たるこちら側へ。

思えば、死すら覚悟して。
世界中で死者が出ている、感染大爆発中の病気にかかり。
よく、治していただいたなあと。

4日発症として22日――約3週間。
自宅療養からホテル療養、そして入院。
関わってくれた全ての人たちに、ありったけの感謝を。

ありがとうございました。
生きて帰れました!!

オッサン独りたそがれコロナ療養日記 ~おしまい

※おまけ
『持ち物編』へ

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